【第4期】2017年12月7日のゼミ日誌

今回の日誌当番は、藤井さんです。

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卒業研究進捗状況発表会も終わり、今週の授業から『ジーキル博士とハイド氏』の全体発表が始まりました。

ジーキル博士とハイド氏』における悪(三河さん)
三河さんの発表の中で特に印象に残ったのは、なぜ悪は人を引き付けるのかというところで、「悪は私たちの生活と結びついている」とありました。殺人や窃盗など大きな事柄から規則(制服を着崩すなど)を破ることも悪に反映されているとあり、なんだか悪に埋め尽くされているような感覚になりました。。。他人の不幸を願うだとか、人間の奥底にあるネガティブ破壊願望も自分に存在しているんだろうなと考えると、表に出てきてほしくないと感じると同時に人間らしいなとも感じました。

人間の二面性〜自我と影〜(林さん)
ジーキル博士が自我であるならばハイド氏が影というような表現で研究されていて非常に面白かったです。ジーキル博士が誰からもよく見られていたり、明るい表情であったことに対して、殺人や嫌悪を与えるような風貌などを持つハイド。全てにおいて、光と影と言い表せることができると思いました。読者からみるとそのように当てはめると思いますが本人たちにとっては、本当に光がジーキル博士で、影がハイドだったのか気になる点でもあります!

ジーキル博士とハイド氏からみる二重人格(横垣さん)
二重人格にも何種類かに分けられていることは、横垣さんの研究から知りました。複数の人格が同一人物の中にコントロールされた状態で交代して現れる解離性同一障害がまさにジキルとハイドに当てはまるのかなと感じました。
It seemed natural and human. In my eyes it bore a livelier image of the spirit, it seemed more express and single, than the imperfect and divided countenance, I had been hitherto accustomed to call mine. また、上の文のようにジーキル博士にとってハイド氏になることがとても快楽であったのはみてとれたので、やはりジーキル博士でいる自分に嫌気がさしていたのではと思いました。

善悪についての発表でしたが、人間誰しもに悪は存在していると私は思います。矢次先生からなぜジーキル博士はハイドにならなければいけなかったのかという問いに、私はジーキルという存在に苦しさを感じ、ひた隠しにしてきた悪という本来の自分も出したかったがためにハイドをつくったのではないかと考えました。

===ここまで===

打ち合わせをしたかのように、三河さん⇒林さん⇒横垣さんと話題が発展して、充実した90分となりました。何となく知っているけれどもちゃんと読んだことがない人が多い『ジーキル博士とハイド氏』の深みがよく理解できたと思います。