12月18日のゼミ日誌(第2期)

今回の日誌当番は大井さんです。

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今回は4回目の発表で、担当は菅野さんと篠木さんでした。発表も早4回目。今回は年内最後のゼミでもありました。

まず、菅野さんの発表では、これまでの発表者とは違った視点から『D.C.』の登場人物を見ていました。これまでは、デイヴィッドの母であるクレアラを作中で死なせてしまったことは、ディケンズが自らの母との思い出を綺麗なまま保存したかったがための描写ではないか、など、女性を悪役として描かないことで、母親に対する愛情を示していたのではないかという考察もありました。しかし、菅野さんの発表では、ディケンズは幼少期に母親に再び職場に戻されそうになったことから、母親に対して強い失望感と恨みをもっており、だからこそ『D.C.』にいて、自分自身ともいえるデイヴィッドの母親であるクレアラに「死」という結末を与えたという意見がありました。ディケンズは父ジョンを恨んでいて、ジョンと名の付く登場人物にはろくでなしが多いということを聞いていた分、意外性は大きかったです。

続いて、篠木さんの発表では、『D.C.』と『大いなる遺産』を比較し、登場人物について分析していました。印象的だったのは、ミス・ハヴィシャムとベッツィがプリンセスになり得た女性であるにも関わらす、なりきれなかったのはなぜなのかということについての発表です。結婚に失敗してしまった二人は、プリンセスとしてではなく、おとぎ話に登場する妖精や魔女のような役割を担いながら、主人公たちを救おうとしているという見解が面白かったです。わたしは『大いなる遺産』を読んだことがなかったので、発表を聞いて、結婚前夜のまま時が止まった女性であるミス・ハヴィシャムに興味津々になりました。また、もうひとつ、篠木さんの発表で面白いなと思ったのが、『D.C.』のなかでは主人公が自らの作品のヒーローになれているが、『大いなる遺産』のなかではヒーローになりきれていないという意見です。デイヴィッドとピップ、ベッツィとミス・ハヴィシャムのように、共通点も多く、ある意味『大いなる遺産』はディケンズの第二の自伝小説ともとれるのにどうしてここまで結末が違うのか、という点が興味をひきました。離婚やスキャンダルを経験したディケンズに大きな変化があったことを物語っているようにも感じました。

今回の二人の発表は、これまでと違った視点から考察していてとても楽しかったです。今回で年内のゼミが最後なので、今から年明けの発表が楽しみです。メリークリスマス!そしてよいお年を!

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クレアラはデイヴィッドの異父兄弟と一緒に死んでしまったわけで、以下「仮に」ですが、デイヴィッドが異父兄弟に自分を投影し、生まれる前と同じように母親と一体化したいという願望を、母と弟の死を通して表現していたとしたら…などなど、デイヴィッドと母親の関係は話題が尽きませんね。『大いなる遺産』はぜひ読んでください。単純に面白いし、『デイヴィッド・コパフィールド』と比較できるポイントもいろいろあります。

というわけで、私からもメリークリスマス!そしてよいお年を!