12月3日のゼミ日誌(第3期)

今回の日誌当番は檜垣さんです。

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今回は、第4回目のディスカッションでした。小西さん・船井さんペアが担当でした。

映画『pygmalion』と原作との違いをまとめ、情景描写の点で挙げていただきました。ラストシーンの決心の他にも、所々行動や雰囲気が違っていて、原作のイライザとは違った女性として描かれている様に感じました。特にヒギンズと言い争った後のシーンでは、怒りと決意に包まれてもう一度指輪を捨てる原作と、大事そうに拾いあげて不安気に振り返りながら部屋を出る映画では、イライザの女性としての印象が大きく異なります。
自分の意志で動く女性であるイライザが、男性を気にする女らしさを全面に出して表現されているのは、当時はその様な"女性らしさ"を持つ女性像ご受けていたからだとあり、私も映画版のイライザはいつも不安そうにしている印象を持ったので、確かに大人しく性格が変わっていると納得しました。
映画は原作が出版されてから20年以上も経ているのにそれでも求められる女性像があり、バーナード・ショーはかなり早い時期から女性の自立に関心を向けていたのだと思いました。

さらに、原作では「そうだ、イライザ、僕は君を一人前の女性にしてやると言った。で、なった。君はこのほうがいい。(P233 L3〜4)」と言っているのに対して、映画では「慎ましくも告白しよう。君の顔と姿に慣れ親しんだ。好きな方だ。」「理想通りの女性ができた。好きになった。」とヒギンズが述べています。一般的に一人前だという扱いから、はっきりとイライザに対する好意を述べ、離れて欲しくないと告げていて、こここらはヒギンズがイライザを好きだと完全に分かります。原作ではヒギンズがイライザに恋愛感情を向けているのか、どうして好きになったのかがはっきりとは述べられていないので、この告白から男性側の性格も変えられているのだと思いました。映画は、お互いに恋心を持っている事が台詞や行動でより強調されていて、最後のシーンを分かりやすくしていると感じました。この二人の恋愛については、サマザマな見方がある様なのでまた話し合ってみたいと思いました。

そして原作の"She maks for the door. 〜She takes a last look at herself in the grass. She suddenly puts out her tongue at herself:(P81L18〜)"「一挙手一投足に怒りと決意がみなぎっている。最後にもう一度鏡に映った自分を見つめる。突然鏡の自分に向かって舌を出す。(P181 L18〜)」という場面から鏡に映った自分(着飾った作られた自分)と舌を出す自分(本当の自分)とのギャップを表していて、人間の外見と中身の問題がここから見られます。卒業研究に向けて、ひとつひとつの興味をしっかりまとめていきたいです。

発表の後は、前回の続きで石原さとみさんがイライザ演じる『ピグマリオン』を鑑賞しました。大声で喚いたり、お茶会でどんどん自分を出していってしまう様子は原作のはっきりしていて強気なイライザのイメージ通りで、思わず笑ってしまう所もありました。『マイフェアレディ』や映画版よりも、イライザが明るく見えて、なんだかほっとします。今回は舞踏会に入る前で終わりましたが、レディとなってからはどのように演じていくのか楽しみです。

===ここまで===

どういう意図でショーが映画を作ったのか(関わったのか)どこかにインタビュー記事か何かあるといいですね。どなたか見つけたらぜひゼミの中で紹介してください。ゼミのときも言いましたが、イライザが鏡の中の自分に向かって舌を出す場面は重要な場面だと思います。檜垣さんに限らず、「掘り下げ」を期待します。女性が鏡を見る場面をさまざまな作品から探して、比較するのも面白いかも。