12月18日のゼミ日誌(第2期)

卒業研究の第一次締切を15日に終えて、18日から卒業研究発表会です。今回の担当は石浜さん、大井さん、加藤さんの3人で、石浜さんがまとめてくれました。

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今回から、今までのゼミ活動の集大成とも言える、卒業研究の発表が始まりました。以下、石浜が土居さん、大井さんが森下さん、加藤さんが菅野さんの発表を担当して書いています。

土居さんのテーマは「ロミジュリはなぜ日本で人気があるのか」です。1章では、『ロミオとジュリエット』の面白さをすれ違い、運命悲劇、愛と死など様々な観点から分析されていました。2章では、シェイクスピアが戯曲化する際に変更した設定を挙げ、演出方法とその効果が述べられていました。そして3章では、日本とシェイクスピア作品の関係性をドラマ化、舞台化作品を挙げて発表されました。特に印象に残った点が3つあります。1つ目は悲劇の役割です。物語を面白くさせるエッセンスでもあり、先に結末を伝えてしまうことで運命に翻弄される過程に注目を持たせる効果があることを気づかせてくれました。2つ目は、ドラマ化、舞台化されたものはかなり著名な俳優が演じていたことです。それだけシェイクスピア作品が日本で権威があり、国民に愛されてきた証だと思いました。3つ目は結論の内容で、シェイクスピアの技量の偉大さ、同情や感情移入が好きな日本人が共感できる内容であったことが作品の魅力であると感じました。先生が仰っていたように、「ロミジュリ」という愛称があるほど日本では非常に人気が高いということを改めて気づかせてくれる発表でした。

森下さんのテーマは「『ピグマリオン』と『マイ・フェア・レディ』からみた女性の自立」でした。マイ・フェア・レディのミュージカル版・映画版と原作で結末が違うことの理由がとても興味深かったです。ミュージカル・映画版は大衆ウケするラブストーリーとして終わりを迎えますが、原作はイライザの自立を印象付けて終わります。そのキーワードとなるのがスリッパでした。スリッパをヒギンズのために拾う女性になるか、男性にスリッパを拾ってもらう女性になるか、この描写が「家庭の天使」と「新しい女」を象徴するシーンとなっています。また、イライザにとって、レディとしての自分を創り上げたヒギンズは神のような存在であり、創られたものと創造主は到底付き合えるものではないというバーナード・ショーの鋭い意見にも納得しました。ショーの意見がまさしくすぎて、万人ウケのために、結末を変えて作者の想いを壊してしまうのは勿体無いでは済まない気もしました。

菅野さんの研究テーマは「『高慢と偏見』から見るオースティンの価値観と作品の魅力」です。作品当時の啓蒙主義階級意識、そして結婚観を取りあげ、『高慢と偏見』から読み取れる作者の価値観と作品の魅力を探ると、序論で始められました。1章では啓蒙主義、そして階級意識と結婚観を挙げていました。啓蒙主義の解説と、作品当時の階級意識・結婚観についての説明がありました。ジェントルマンやガヴァネスについて触れ、作品がどのような社会背景のもとで書かれたかを述べていました。2章では『高慢と偏見』に登場する結婚を3つに分けていました。1つ目は「打算的な結婚」としシャーロットとコリンズを取りあげていました。ヒロインのエリザベスが、この結婚に批判的であることがわかる箇所を引用していました。2つ目は「衝動的な結婚」としベネット夫妻をあげていました。菅野さんは、二人の結婚をベネット氏がベネット夫人の見た目に惹かれたことがきっかけだとしていました。そしてエリザベスはこの両親の結婚生活を反面教師にしていると述べていました。3つ目は「理想的な結婚」としてエリザベスとダーシー、またジェインとビングリーの結婚を挙げていました。この2組の結婚は対比して描かれており、前者の方がより愛情で結ばれ、知性に富んでいるとしていました。これらから、作者は啓蒙思想に影響を受け、『高慢と偏見』を書いたと結論づけられていました。啓蒙思想を持つ知的な人物は、信頼と尊敬によって平等な人間関係を築くことができ、それが真の人間的な絆であるとされていました。さらに、そこから生まれる真の愛情が重要であることを作者は伝えたいのだと菅野さんは考えていました。そして最後には、『高慢と偏見』に見られる「理性」と「愛情」とは、国や時代を超えても語られるテーマであるとまとめられていました。

3人の研究で、それぞれの作品に対する見解をより深めることができ、どれも興味深い発表でした。年明けからの発表も楽しみです。皆さん、よいお年をお迎えください!

===ここまで===

発表会を経て、加筆修正したものを2月2日に提出していただくわけで、まだまだ作業は残っているわけですが、みなさんとのゼミもあと少しと思うと感慨深いというよりも、寂しいです。