7月9日・16日の卒業研究発表会①(第3期)

7月16日と23日に卒業研究発表会を行いました。以下、発表の記録です。(  )内が発表の内容をまとめたり、感想を書いたりした担当者です。

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川口さんの発表「ジェイン・オースティン作品の親しみやすさー初期作品『分別と多感』、『高慢と偏見』の場合」について(宇都宮)

川口さんは「ジェイン・オースティン作品の親しみやすさー初期作品『分別と多感』、『高慢と偏見』の場合」についての発表をしてくれました。ジェイン・オースティンの作品はレジュメにあるように、自分と似た環境や階層の若い女性の日常生活、恋愛、結婚模様を中心に描いているのが特徴です。それは私たち若者(特に女性)にとっては共感できる部分もあって読みやすいことは今までの授業で感じてきました。しかし海外では、日本とは比べものにならないほどジェイン・オースティンは人気がある人物ということで、彼らは一体どこに魅了されているのか私も興味がありました。

発表を聞く中で私が気になったのは、オースティン作品の続編をファンがインターネット上で作成しているということです。ファンの続編希望を聞いて作者が続編を作るというのは日本でもあり得ないことではありませんが、ファンが独自で続編を作ってしまい、しかもそれをネットに公開しているというのは驚きでした。ファンそれぞれストーリー構成は違うだろうし、周囲はどう反応していたのかとても気になります。

また、オースティンの作品はイギリスにおいて中高等学校の「必読図書」や卒業試験の課題図書に必ず含まれているということで、ここからもいかに彼女がイギリスで人気が高いかをうかがうことができました。

作品の特徴の中で挙げられているヒロインの成長について、「幾度の苦境に陥りながらも最終的には心身ともに成長する」という点は聞いていて同感しました。ゼミを通じて様々な作品を読んできましたが、どの作品も初めと終わりでヒロインの外見や内面に変化がありました。周囲の影響で人は大きく変わるんだということを私たちはオースティン作品から何度も学ばされた気がします。

読者にとって共感できるから親しみが持てるというのが一般的ではありますが、彼女の場合はそれだけでなくオースティンらしさが評価されている点が時代を超えて愛される理由なんだと今回の発表を聞いて分かりました。私もこれまでジェイン・オースティンの作品から女性観であったり結婚観であったりと多くのことを学んできました。だから、海外だけでなく日本でもジェイン・オースティンの名が有名になり、もっと多くの人に彼女の作品を読んでもらえればいいなと思います。
素晴らしい卒業研究でした。

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今井さんの発表「『エマ』の人生観について―『高慢と偏見』を合わせながら」について(川口)

私自身の卒業研究も、ジェイン・オースティンの作品についての発表であるため、とても興味深い発表でした。今まで私が触れてきたオースティン作品の主人公とはまた一味違った主人公がエマであり、階級と家柄がより濃く描かれている作品であるといった印象を受けました。やはり、この階級や家柄といった部分は、18世紀後半から、19世紀にかけての大きなキーワードであり、『エマ』の中でもこの階級や家柄が良くも悪くも登場人物たちの行動を制限したり、おかしく見せたりしているということが分かりました。作品を通じて、ヒロインであるエマの、徐々に素直さが出てくる心の流れなどの心理描写、皮肉に富みユーモアたっぷりの文章といった表現力に見所のある作品だと思いました。この『エマ』という作品がオースティンの後期作品であり、私がテーマとして使用した初期作品にはそういった部分がまだ十分に描かれていなかったのだと感じました。

まず主人公のエマについて、賛否両論を受けるヒロインだという印象です。オースティンが描く主人公は好かれる人物が多いので、そこが今回は独特だと思いました。ということもあり、『高慢と偏見』のエリザベスとエマをヒロインとして比較している点が、違いが分かりやすかったです。個人的には、やはりエリザベスの方が好きだなと思いました。繰り返されるエマのお節介は、読者をハラハラさせる部分があるようです。

私が今井さんの発表の中で印象的だと思ったのは、エマの自己の欠落に関する部分です。この自己の欠落が起こった時に、エマの恋が始まるという点になるほどと思いました。これは、考え方の変化が影響しており、「正しい」ではなく、「良い」と思える人の存在にエマが気付くということです。この部分は、物語においても転機で、そこを具体的に示している点がとても納得のできるものでした。

結論としてあげていたように、私もエリザベス、エマ共に理想的結婚があてはまると思います。こう考えると、オースティン作品のヒロインは最終的に理想的結婚で幕を閉じる部分が魅力的だと思いました。どちらの作品も、人間の愚かな部分が描き込められていて、『エマ』という作品は、特に大胆な部分が多く描かれつつも、自己反省によって愛されるヒロインのエマの姿が独特で、人気の高い作品だと思いました。

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檜垣さんの発表「『ジェイン・エア』における母性――家族の中の子ども」について(今井)
ジェイン・エア』は孤独な少女時代を経て自立したヒロイン、ジェインの半生を描いた物語として18,19世紀に取り上げられる代表的な小説であり、ジェインが子どもから大人に成長していく女性として、孤児としての幼少期の環境や、擬似的な家の存在について考察している。

子ども観の変遷では、子どもを意識して書かれた作品として、文学の世界に子どもが姿を現し始めるのは、17世紀あたりからである。それより以前には、子どもは小さな大人として扱われていた。子どもを意識した子どもの本として宗教教育的な作品が成立し、ピューリタン児童文学より、子どもは未熟でしつけられるべき存在とみなされ、教育によって大人に仕上げるものであるとされた。その後ルソーの『エミール』で、自然の心から沸き起こる態度や言葉こそが人間として対決なものだという考え方が大きな影響を与え、ロマン派による子どもの価値の再発見、すなわち子どもの無垢を尊重する考え方が起こり始めたのである。ロマンシズムから現れた子ども像は、子どもは無邪気で天使のように汚れなく、いつも溌剌としているとイメージを含んでいる。

子どもが甘やかされて育つ時代である19世紀に入り、1851年の万国博覧会を転換点ときて、イギリス社会では好況が続き、社会全体が改善に向かうようになり、子どもの死亡率が低下していった。(医療科学の発展により)子どもは生まれて成長し、大人になるとのとなっていき、従来の子どもを純粋無垢とみなす子ども観に変化を与えた。

不思議の国のアリス』は、初めて子どもの本を想像の世界に解放したと言える。これは子どもの観察が必要としている。世界の児童文学の中でも様々な研究の対象とされ、児童文学の歴史を語る際に欠かせない本の一つである。キャロルは実在するアリスを喜ばせるために作品を描いており、その時代が持っている子ども観の制約をあまり受けない。ここで、特定の子どもだけを念願におくがゆえに普遍性を持ちうるという逆説的心理が働いているである。キャロルにとって現実世界で抑制されている自我の解放のために子どもという存在が必要であり、大人の理論で抑制されている子どもにも、現実世界の制約を外して想像の世界で思いきり遊ぶことが必要であったのだ。

子どもらしさでは、私たちは大人と子どもを違う存在として区別し、子どもに対して守られるべき、無垢な存在といったイメージを持っている。このような子どもを純粋無垢な存在とする考えは、18世紀末頃からみられるロマン主義的な子ども観である。

今回のゼミ内容でも子ども観を意識していた分、小説での子どもの在り方を意識してみることができました。時代により、子どもの教育の仕方により、子どもの在り方や教養の在り方が変わるものだとわかりました。