【第4期】2017年12月14日のゼミ日誌

今回の日誌当番は、星加さんです。

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12月14日は『ジーキル博士とハイド氏』の全体発表会2回目でした。

ジーキル博士とハイド氏』における鏡の重要性(藤井さん)
藤井さんは授業中に矢次先生からご説明があった【鏡像段階】というワードを足掛かりに発表されました。鏡像段階の説明で「発達の基本となる重要な時期。子供は鏡の中に自分と同じ姿をした像を見つけて、これを同一化しながら、自我の最初の輪郭を形づくる。」とありました。私はこれを聞いて、ジーキル博士−ハイド氏の変身が上手くいっているか確認するために鏡を覗いているうちにハイド氏の自我が成長してしまい、変身が上手くいかなくなったのかなと感じました。

ジーキル博士とハイド氏』はなぜ長年愛されているのか―推理小説の書き方からの考察(上岡さん)
上岡さんはこの作品を推理小説として読み、推理小説の起源や推理小説作法20則についてまとめて発表されました。この推理小説作法ですが、中でも「事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない」は重要な項目だと思います。とあるドラマを見ていて、犯人は探偵役を映しているカメラマンでしたというのがあり、反則だと感じたことがありました。小説においては上手く視点を切り替えるなどしているので、映像化するのが難しいトリックなのだろうと感じました。

ジェントルマンについて(井元さん)
井元さんはジェントルマンについて発表されました。その中でパブリックスクールの説明がありましたが、私はパブリックスクールというと貴族の子息が通う優雅な学校だと考えていたので忍耐力を鍛えるため厳しい規則に縛られていると知りとても驚きました。また、ジェントルマンというと前期で取り扱った『大いなる遺産』が思い出され、なんだか懐かしくなりました。ジェントルマンであり続け、同時に欲望を発散させようとして自滅してしまったジーキル博士はパブリックスクールで忍耐を完璧に身につけられなかったのかなと思いました。

外に置かれた内なる自己―『ドリアン・グレイの肖像』を足掛かりに(横井くん)
横井くんは「ハイド氏はジーキル博士の内なる自己を可視化したものである」ということに目を向け、『ジーキル博士とハイド氏』と『ドリアン・グレイの肖像』を結びつけて発表されました。ドリアン・グレイは友人に描いてもらった肖像画に自分の老いという醜さを押し付けますが、やがて彼が悪事を行う度に肖像画は醜さを増していきます。横井くんは発表中、「見る」ことで認識をすると言っていて、ジーキル博士にとっての鏡とそれに映ったハイド氏もグレイにとっての肖像画も同じ役割を果たしていたのだと気づかされました。

卒業研究の提出も終わり、学生最後の冬休みが近づいてきました。来年からはお仕事の間のお休みとなるので、今回のこの冬休みをのんびりと、充実したものとして過ごそうと予定しています。

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J&H、読みごたえがありましたね。発表を聞いていてしみじみそう思いました。もっと時間があれば、よかったです。