【第4期】2017年12月21日のゼミ日誌
今回の日誌当番は三河さんです。
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今回のゼミは、『ジーキル博士とハイド氏』についての発表の最終日でした。
『ジーキル博士とハイド氏』と『フランケンシュタイン』(伊藤さん)
伊藤さんの発表では主に、『ジーキル博士とハイド氏』と『フランケンシュタイン』におけるそれぞれの博士の感情や類似点、また分裂病とジーキル博士についての発表でした。特に興味深かったのはハイドと怪物が作り出されたときの、それぞれの博士の感情が真逆であったことです。ジーキル博士は自らのストレス発散のためにハイドを作り出し、フランケンシュタイン博士は人間を作りたかったという、そもそものきっかけが違っていたためこのような違いが出たということでした。しかし、この二作品とも自ら作り出したものによって追い詰められ苦しむとう点においては同一でした。自らの手で神のなすべきことしたがためにバッドエンドになるということなのか、むしろハッピーエンドがあったら読んでみたいと思いました。また、ジーキル博士が一人の時にはワインではなくもっぱらジンを飲むという文がありましたが、ワインはダメでジンはいいのか、むしろ酒は飲まないほうが一番いいのではないかとか、いろいろと謎に思っていましたが、納得することが出来てよかったです。
紳士について――Dr. Jekyll & Mr. Hyde (石川さん)
石川さんの発表は、イギリスの階級について、紳士が通ったパブリックスクールについて、また登場人物の紳士的な意識についてでした。医者や弁護士であったジーキル博士たちはアッパー・ミドル・クラスで紳士とされる階級でありました。また、ヴィクトリア女王の即位の前後で世間の風潮が快楽的から、禁欲的に変異していきました。ジーキル博士はこのような風潮の中で紳士という仮面にとらわれ過ぎたがためにハイドを作り出し、むしろかわいそうな気もしてきました。自らの悪いところをさらけ出せない世の中によって、ジーキルはハイドを作らざるを得なくなったのだと理解できました。
犯罪を犯す人格:ハイド氏とオーウェン(星加さん)
星加さんの発表は、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』におけるオーウェン(ウォーグレイブ)とジーキル博士の比較でした。彼らに共通したのは、二面性でジーキルは善良な紳士の面と快楽への旺盛な欲望、ウォーグレイブは強い正義感と嗜虐趣味でありました。二人とも一見すると、善良な市民でありましたが、二人は殺人という行為によって自らの悪い欲望を開放していきました。特に、ウォーグレイブは正義感と自らの欲望を混同して、殺人を犯したというのはジーキル博士のストレス発散という理由より悪質だと思いました。また、星加さん発表を聞いて『そして誰もいなくなった』やアガサ・クリスティーについて興味をもったのでさっそく図書館で借りたので読んでみたいと思います。
今回は今年最後のゼミでした。今年一年、お疲れ様でした。来年もあと三回ではありますが卒業までどうぞよろしくお願いいたします。みなさん、よいお年を!
===ここまで===
12月14日の日誌のところにも書きましたが、議論の時間がもっとあればよかったですね。読みごたえがありました。そういう意味ではこれを選んでよかったです。
ゼミも残すところ、卒業研究発表会のみ。卒業研究の最終版の提出まであとちょうど1か月。最後までしっかり頑張りましょう。