【第6期】2018年11月21日のゼミ日誌

今回の日誌当番は、山本さんです。

===ここから===

今回はP.101の宇佐美さんの担当箇所からです。

物語も終盤に差し掛かりました。
赤ん坊を取り戻すためにジーノ宅に訪れたアボット嬢でしたがジーノの赤ん坊への愛情を目の当たりにして赤ん坊を取り返すのを諦めてしまう。
赤ん坊を取り戻すという目的が同じなアボット嬢の裏切りに憤慨するハリエット。フィリップはハリエットに彼女は力になるから仲良くすべきだと説くフィリップ。
教会でアボット嬢はフィリップに赤ん坊を取り戻すことはしないがフィリップとハリエットの邪魔もしないという。しかし母親の言いなりなフィリップに対し自分の意思で動くべきだと言ったアボット嬢でしたがその言葉は響かなかった。
激しくなる雨の中なかなか帰ってこないハリエットからの手紙を受け取りフィリップは指示通り馬車を出す。
暗闇の森の中走る馬車は先を走っていたアボット嬢が乗る馬車と激突してしまう。

''I don’t die-I don’t fall in love “(P.110)
これは宇高さんの引用からです。
このせりふの前にフィリップはアボット嬢へ熱烈な告白ともとれる言葉を送っているにも関わらず「自分は恋をしない」と語っています。不器用な彼にとって恋愛という難しいものはとても理解しにくいのではないかと思いました。死と恋を並べているとても印象深い1文でした。

“The thing would jog out somehow. Probably Miss Abbot was right. The baby had better stop where it was loved. And that, probably, was what the fates had decreed. He felt little interest in the matter, and he was sure that he had no influence.”(P.112)
樫本さんの引用。
アボット嬢がフィリップの心を動かそうと話していても彼には響かないシーン。樫本さんの指摘では教会でのシーンの繰り返しがされてるとありました。私はそこで気づいてなるほどと感心しました。

“The baby-the baby-it slipped-it’s gone from my arms! I stole it!”(P.119)
巨島さんからの引用です。
馬車の衝突事故で赤ん坊が腕からすり抜けていなくなってしまったことに発狂するハリエットのせりふです。ここは自分で読んでいても不可解な部分でした。赤ん坊は人なのに''it''呼ばわりをするハリエット。アボット嬢やジーノのような赤ん坊への愛情は無くへリトン夫人の言いつけを遂行しようとするハリエットの性格が大きく表れているシーンだと感じます。


今回の講義では物語終盤で起こる衝撃的なシーンが中心でした。怒涛の展開で実際に読んでいて皆さんが1番ハラハラした箇所だと思います。赤ん坊を巡って大人達が様々な画策をしたり思い悩んだりするところが印象的です。
この後はいよいよクライマックスですがこの本の終わり方は自分自身後味がすっきりしないと考えています。
どの人物が悪いなど断定しにくいですし、話がどう傾けば丸く収まるのかもよく分からないです。しかし、このモヤモヤ感が逆に面白みをましているとも感じます。
皆さんはどうでしょうか。
来週は映像で『天使も踏むを恐れるところ』を観ます。
映像と原作の違いなども楽しめたらと思います。

===ここまで===

話を丸く収めないという小説の描き方もあります。そもそも「話を丸く収める」とはどういうことなのか、これにも様々な意見があるでしょう。映像版を観るときに、この点も念頭においていただければと思います。