【第6期】2018年11月14日のゼミ日誌

今回の日誌当番は、日野くんです。

===ここから===

今回は自分の担当したP81からの場面です。

ジーノを訪ねに屋敷へ向かったフィリップがホテルに帰り、アボット嬢とふたりきりで話すこととなる。フィリップは前日アボット嬢がジーノと不本意ながらも会話を交わしたこと、さらにその会話の中にジーノからフィリップへの謝罪が含まれていたことを知る。ジーノからの謝罪に気を良くしたフィリップは赤ん坊のことなどすっかりどうでもよくなってしまい、意識はどんどんとアボット嬢への興味に向かっていく。ソーストンでは気づくことがなかったアボット嬢の魅力にフィリップが魅了されるが、彼らの会話はハリエットの登場により中断されてしまう。その後、彼らは3人でオペラを見に行くこととなるが、ハリエットはイタリアでのオペラ鑑賞におけるマナーに不満を爆発させる。一方、イタリアに馴染んで楽しむフィリップは、改めてジーノへの印象が好転へと向かう。そしてオペラ鑑賞が終わり、ホテルへと戻る。その晩、アボット嬢は自らの目的は赤ん坊を救い出すということであったと再認識する。翌朝ジーノの屋敷へ向かったアボット嬢だが、実際の命が宿った赤ん坊を見ると、自らの行いが果たして本当に正しいものなのかわからなくなってしまう。

it's one thing for England and another for Italy.(P.90)
これは山本さんの引用にある一文で、フィリップ本人がイタリアとイギリスは全く別物であると発言した場面です。彼自身、この2国が全くの別物だと理解しているにも関わらず、性格や考え方、振る舞いの違いに翻弄されているのが、フィリップの言葉を借りるととても滑稽な状況だなと感じました。一見冷静であるように見えるフィリップも、大事なところでは頭に血が登る、他人の言葉に踊らされるため、失敗が重なるのではと考えます。

The real thing, lying asleep on dirty rug, disconcerted her. It did not stand for a principle any longer. It was so much flesh and blood, so many inches and ounces of life – a glorious, unquestionable fact, which a man and another woman had given to the world.(P95)
これは横田さんの引用で、赤ん坊のことを命が宿った一人の人間としてではなく、言葉としての赤ん坊という捉え方をするのがイギリス的であると考えられます。ここにはイギリスとイタリアそれぞれに対する、E.M.フォースターの偏見がたっぷりと詰まっているのだろうなと感じました。この部分だけを見ると、イギリスは完全に悪者に見えてしまいますが、感情的に捉えるイタリアも正しいとは言い切れないという点にも目を向けなければいけないと思います。

回を重ねるごとに話がどんどんと複雑になっていきますが、この辺りからどんどんと登場人物の本性が顕になっていくのかなと思います。どれが建前でどれが本音なのかをしっかりと見極めながら話を追っていかなければと改めて感じます。

===ここまで===

日野くんご指摘の通り、どんどん話が複雑になり、突然終わる…そういう印象です。ハリエットやジーノは比較的わかりやすいのですが、フィリップ、特にキャロライン・アボットが解り難いですね。