2013年5月23日のゼミ日誌(第1期)

今回の日誌当番は井上さんです。


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ゼミでは、先ず第2章の終りで、エマーソン氏がルーシーに対してなぜ“Poor girl!”と言ったのか?また、ルーシーはなぜ“She could not let pass this, for it was just what she was feeling herself”と思ったのか?について考えました。


エマーソン氏はルーシーが中産階級意識に捉われていることを指して言ったわけですが、ルーシー自身もそれに気づきはじめています。その証拠にBeadekerがなくても、ひとりで町の中を楽しむことができたのです。しかし、それを素直に認めることができないのも今のルーシー。この章では何にも捉われず自分の意志で自由に行動したいが、まだ古い考え方から抜け出すことが出来ないルーシーの本心との差、精神的な揺らぎが描かれています。


第3章では音楽が重要な役割を果たしていて、冒頭の場面ではルーシーがピアノを弾くところから始まります。彼女はベートーヴェンを弾いているときは、自分の情熱をそれにぶつけることができます。


このほか、レポートのテーマについて、「エドワード朝とヴィクトリア朝の小説の違い(肉体描写)」、「中世」、「中産階級のあり方の変化」、「郊外(住宅地)の誕生」、「イタリア」などの例があげられました。


<感想>
エマーソン氏は誰にでもずけずけものを言います。教会の中で、たまたま隣にいた観光団の解説を聞いて’No!’ と大きな声で言ったあと ’Remember nothing of the sort! Built by faith indeed! That simply means the workmen weren’t paid properly. And as for the frescoes, I see no truth in them. Look at that fat man in blue! He must weigh as much as I do, and he is shooting into the sky like an air-balloon.’と、続けたものだから解説者は動揺し、その場の空気も凍りついてしまいます。しかし、あとから相手が知り合いの牧師さんだったことに気がつき、あわててお詫びに行きます。気が小さいところもあるという意外な一面が出ていて、ほほえましい感じさえしました。


小説を原文で読むと短い文章、ひとつの単語が重要な働きをしているのがよくわかります。ルーシーの心のゆらぎ、脇役の個性を際立たせるセリフなどの難解な英語も解説してもらうと、深い意味がわかり納得したり感心したり。


加藤周一の『読書術』の中に「私は英語でフォースターを読むのが好きですが、もし、それを日本語訳で読んだら、好きであるかどうかたしかでありません。」とありました。また「学校で19世紀イギリスの小説を前にしたときほど、日暮れて道遠しの感をもつことはないでしょう。」とも書かれていました。英文に悪戦苦闘するのも当然なんですね。


ルーシーが成長していく過程を英語で確認しながら、小説の展開を楽しんでいきたいと思います。


=====ここまで=====


英語で読んでいると、なかなか進まなくてもどかしいこともありますが、登場人物や作者を近くに感じられますね。これからも楽しく悪戦苦闘していきましょう!


エマソン氏は(『高慢と偏見』のベネット氏もそうかもしれませんが)面倒なところもあるけど、可愛く思えることもありますね。彼とジョージとは、不思議な親子だなあと読むたびに思いますが。