11月6日のゼミ日誌(第2期)

今回の日誌当番は藤本さんです。

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今回はいよいよ、ディヴィッドが盲目的に恋に落ちた女性、ドーラが登場します。

師・スペンローさんの娘、ドーラに対面し、あまりの可憐さに釘付けになるディヴィッド。

She was more than human to me.She was a fairy,Shlph,…の文章から分かるようにディヴィッドはドーラを人間を超越した美しさ、妖精などと形容しています。ここには当時の女性への理想像があらわれているとのことでした。前期の高慢と偏見でも学んだように、理想の女=観察される女 がまさに現れているシーンだと思います。お人形さんみたいにきれいだね、と言われるとたしかに嬉しいかもしれませんが、よく考えて見るとまるで物として見られている気がして素直に喜べません。それにしてもディヴィッドが面食いで誰にでもすぐに天使だとか妖精だとかいうのが個人的にすごく気にかかります(笑)

そうして、もう一つの注目ポイントは、ドーラのconfidential friendがミス・マードストンだったということ。偶然の再会。世界は狭い、、。昔の家庭内の話は今更口に出すべきではないわね。という提案に対し、恨みはあるけれどそれには賛成します。お互い上辺では上手くやっていこう、という大人な対応を見せます。少し、ディヴィッドの成長が感じられました。しかしとにかくドーラしか目に入らないディヴィッドが、マードストンとドーラをmaterial world(物質世界)とspirit(精神世界)として比較していたのも面白かったです。

それにしてもミス・マードストン、あれだけのことをしておいて水に流そうだなんて、あまりに虫が良すぎると思います。

ディヴィッドをとりまくアグニス、リトル・エミリー、そしてドーラ。性格も三者三様の三人に共通するもの。 それは母親の不在です。アグニスは幼いころから母としての一切の役割を担う必要がありました。父への申し訳なさや自責の念を一人で背負いこんでいます。エミリーは後に駆け落ちという選択をし、周りの人々まで不幸に追い込むことになります。ドーラは美しいけれども妻としての能力がゼロに等しくのちにディヴィッドも頭を抱えてしまう程。母親は同じ女性として一番身近な存在であり、時に生き方のお手本になる存在だと思います。母親に女性としてこうあるべきだ、という教訓や導きを受けられなかったことが、三人のそれぞれの"危うさ"の原因ではないか、とのことでした。たしかに、この物語は親が不在の登場人物が多いなと感じました。一人一人のキャラクターにもっと着目してみると面白いとおもいます。

話は変わって、ミスターバーキスに死が訪れます。先生もおっしゃられていましたが、私もこのシーンを読むとこみ上げてくるものがあります。

"Barkis is willing."(to marry Peggoty)

ディヴィッドが幼い頃から、バーキスさんがよく使っていた決まり文句。愛する人のそばで二人だけの愛の言葉を囁きながら、こんな風に世をされたらこれ以上幸せなことはないとおもいます。

今回も非常に重要な点が盛り沢山でした。そして次回、リトル・エミリーとスティアフォースの駆け落ちが物語をさらにかき回します。

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研究者の発言じゃないと言われますが、何度読んでも、バーキスさんが死ぬ場面では涙腺がゆるみます。悲しいというよりも、私も死ぬときはこういうふうに死にたいな、と。ミス・マードストンとデイヴィッドの「水に流しましょう」は大人の事情ってやつですね。