5月8日のゼミ日誌(第2期)

今回の日誌当番は、長坂さんです。

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5月8日の授業では、第6章と第7章について、それぞれ土居さんと内藤さん要約とポイントを発表してもらいました。

第6章では、筆箱事件からのキャシーとルースの関係の変化や、ヘールシャムの生徒にとって心の拠り所とされている「ロストコーナー」ノーフォークの存在などが出てきています。また、「私を離さないで」の曲に合わせて踊っているキャシーを見て泣いていたマダム。これもこの章での重要なポイントです。
ノーフォークを心の拠り所するのは、キャシーたちが自分たちはどこか欠けていると感じているから、という土居さんの意見にはなるほどなと思いました。それから、
We had still had that last bit of comfort, thinking one day, when we were grown up, and we were free to travel around the country, we could always go and find it again in Norfolk.
last bit of comfortの部分、ノーフォークが一縷の望みだとルースが言う場面から、より大切な場所であることが伝わってきました。 

第7章では、ヘールシャムでの最後の数年間について語られていて、大切な思い出もあれば深刻な事が多かった期間だったという。将来の夢を語る生徒たちにルーシー先生が臓器提供の話を持ち出します。臓器提供のことは公の場で語られることはありませんでしたが、生徒たちはトミーが負った肘の切り傷をネタに冗談を言うことはありました。
ポイントとして、収容所に入れられた兵士の話題が出てくる場面を挙げていました。ルーシー先生だけではなく、生徒たちの反応もどこか普通の子供たちとは違うと気づかされました。内藤さんがあげていた、It’s just as well the fences at Hailsham aren’t electrified. You get terrible accidents sometimes.  の部分で、ルーシー先生がまた妙なことを言っていますが、好きな時に自殺できるなんて妙だ、というくらい死ぬことへの恐怖が薄いと感じられる生徒たちだけれど、安全なヘールシャムにもし電気フェンスがあるとすると、もしかしたら事故を装って自殺する子が出てくるかもしれないということなのでしょうか。彼女の行動は謎が多いと思いました。ルーシー先生の視点で物語を追っていくのも面白いかもしれません。 

今回は授業中に疑問点がいくつか出てきました。

■「なぜマダムがあの時キャシーの部屋の前にいたのか」。
「マダム=展示会の時に来る人」のイメージがあるので、本当になぜあの時にいたのか謎ですね……。先生のおっしゃったとおり、怖いとも感じます。先を読んだから言えることですが、マダムはクローンである生徒たちのことを恐れつつも気にかけているので、ただ単にヘールシャムを訪れた時に偶然音楽が聞こえたから、ということでしょうか。

■「ヘールシャムの生徒たちはどのように“母”を教えられたのか」
私の意見としては、確かたばこなどの教育に良くない絵が入っているもの以外は規制されていなかったと思うので、本から得た情報で“母”とはこういうものなんだ、と最初のきっかけとして学んだのではないかと思いました。あと作中では、第7章にも絡みますが、「教わっているようで、教わってない」の話が出ていて、本当に理解できるようになる少し前に先生が教えているんじゃないか、とトミーが話します。他の話をしているときに話題をすり替えて、子供が産めない体のことと同様に、母親についても実はさらっと教えられていていた……のでは。ルーシー先生以外の人はなかなか単刀直入に「あなたたちには母親はいません」と言えないと思うので、自分で気づいてもらいたいというかんじでしょうか。クローンだとはいえ、自分たちと同じ形をした子供たちにそんな事実は告げるのはためらわれると思います。

《感想》
今回は疑問点が多く出たので、それらを抑えつつしっかり読み直そうと思います。
そして、もうひとつの「なぜタイトルが『私を離さないで』なのか」についてはまだしっかりとした考えを持てずにいるので、これから考えていきたいです

=====ここまで=====

話に出てきた謎についての長坂さんの分析をありがとう。母親のことは私は以前には全く考えていなかったので、そのことについて疑問が出されたこと自体、面白かったです。この小説では「見る/見られる」の場面がかなり重要だと思うのですが、キャシーが音楽に心身を委ねているところをマダムに見られる場面、タイトルとの関連からも気になりますね。