10月16日のゼミ日誌(第2期)

今回の日誌当番は内藤さんです。

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今日の授業では第20章から第23章までをみていきました。担当は私と長坂さん、浪本さんと藤本さんです。

まず、私の発表のポイントは1 トミーの描いた絵 2 トミーと猶予期間のことを話す としました。367ページに「1種の蛙で、長い尻尾があって、そこだけがまだオタマジャクシのまま」という表現がありますがそれはトミーが自分たち(クローン)と人間の狭間にあるものを表現しようと(それが自分たちである)しているのだと考えました。それを見てキャシーははっとします。わたしたちが今見て、計画していることは全て滑稽なのではないかと。ここまでは授業で発表しましたが、さらに深めてみると、その生物の飼われている水槽は人間の思い通りになってしまうし、結局ほ手の中で泳がさされているだけなのではないか、ということです。ですから、NLMGには加藤さんの前期の発表にあったように水の表現が多く、意味が深いのではないかと思いました。(マダムの家が海岸沿いにある等)

第21章ではついに二人がマダムに会いに行きます。気になったことは、Pop creature です。私の卒業研究と絡めての意見になりますが、『ハリー・ポッター』の中にもクリーチャーという名前の生物が出てきますが、彼らは人間たち(魔法使い)から十分な扱いを受けておりません。ですから、説明にあったcreature=生き物、作り物(感情はあるけどそのように扱われていない生物)にはとても納得できました。第21章の概要ではマダムの家に行く前に朝からついていないことばかりが起き、というのは猶予期間の話が嘘であるという伏線、(うまくいかない未来)ではないかと思いました。

第22章では映画の場面と重なり、帰り道でトミーが荒れ狂うシーンが印象的でした。二人の希望が消え、どうすることもできない時のトミーの感情が爆発します。NLMGの登場人物たちで今までの章で感情を露わにすることがなかったものですから、余計に彼らの思いが文章でも痛い程伝わってきました。
最終章、第23章は429ページの「空想はそれ以上進めませんでした。わたしが進めることを禁じました。顔には涙が流れてきましたがわたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。」がポイントではないかと思いました。NLMGは語り手がギャップであるのでこのセリフを言っている今(書いている)彼女はどんな思いなのでしょうか。「自制する」というのはキャシーの性格上もっともな部分だと感じました。トミーと両想いだったのにルースにとられてしまったことだとか、荒れ狂うトミーを抱き抱えたりと、主人公ではありますが、どこか傍観者のような印象を受けました。

しかし、第三者の目線ではない文章だからこそ読者がキャシーの気持ちになり、懐かしくなるような気がするのではないかと思いました。また、その分近未来の問題であるクローンについて生々しく感じた物語だったのではないかと、とも思いました。

===ここまで===

卒業研究と並行して読み続けていたNever Let Me Goもついに終わってしまいました。上で内藤さんが挙げていることも含め、気になる箇所が多いですね。それらの箇所も、また何年か経ってから読み直すと、違う感想を持つのかも。みなさんのまとめの発表に耳を傾けながら、また振り返りましょう。