11月12日のゼミ日誌(第3期)

今回の日誌当番は徳永さんです。

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今回は、第3回目のディスカッションでした。本山さん・山本さんペアと今井さん・宇都宮さんペアが担当でした。

そもそも"Pygmalion"とはなにか、というところから発表は始まり、実際私は原作を読んでいながらタイトル自体の意味を理解していなかったのでいい機会になりました。それは女性の彫刻が本物の人間に変わるという現実ではあり得ない話でありながら、代々語り継がれていることに納得もいきました。なかなか理想が思い通りにいくことは難しいけれど、レジュメより、教育心理学で「人はほめられ期待されると期待通りになる」という教訓になっていると思いました。

この発表中で本山さんと山本さんが提示していたテーマ2つ(バーナード・ショーが神話と相反する結末にした理由、イライザはヒギンズを好きなのか)は、かなり考えさせられることであり、もっとゼミ生でディスカッションしてみたいと思いました。ディスカッションという形は実際先週も行ったのですが、こうも固まったテーマに対してのディスカッションはまだ行ったことがなかったので始めは少し難しかったです。どんどん自分の意見をはっきりと述べていけるよう今後のディスカッションでも努力していきたいです。因みに私はテーマ2に対して、イライザはヒギンズを好きだったと思います。好き、といっても恋愛的な好意ではなく、普通の友人としての好意だと思います。日本訳の引用にはなりますが、「あなたのことがー大切に思えてきたから。愛してほしいと言ってるわけではありません、身分の違いを忘れたわけでもありません。そうではなくて、もっとお友だちのようになりたかったんです。(P228 L13〜15)」から、イライザはずっとヒギンズからレディの嗜みを習ううちに彼に親しみを覚えていたはずです。それは恋愛的な好意ではなく、これからも友として共に歩んでいきたい、という好意だと感じました。
次に、今井さん・宇都宮さんペアによる「結婚観、女性観、階級や社会の描き方におけるPPとの違いと類似点」の発表がありました。"Can you shew me any English woman who speaks English as it should be spoken? (P71 L27)"より、『Pygmalion』の時代は言語が絶対であり、それ含め、振る舞いから人間の品定めをしていました。『Pygmalion』と『PP』は同じイギリスが舞台といえど、ヒロインだったり階級や社会がかなり異なっていました。これは時代が違うから、ということが第1の理由です。『Pygmalion』だと労働者階級は人として扱われていない一方、『PP』はそもそも労働者階級というものが登場しない、など時代が違えば政治の方法も社会の風潮も全く異なります。この発表を聞いてさらにイギリスへの探究心が深まりました。しかしこの2作品で確実な類似点があり、それはヒロイン(イライザ・エリザベス)は物語を通して変化しています。この変化は彼女たちにプラスであったりマイナスであったりそれぞれですが、物語が展開していく上で誰かから影響されたり、自分で成長したりと確実な変化が見られました。

発表を聞きながら疑問に思ったことや、追求したいと思ったこと、これからの卒業論文に使用できそうな事例がたくさんあるので、将来を見据えつつもきちんと授業を受けていきたいです。

発表後は『Pygmalion』のDVDを見ました。同じ作品でも演じ手の演じ方によって観ている私達の気持ちの受け取り方が異なるので素直に面白いです。今後は石原さとみさんが演じたイライザの『ピグマリオン』も観られるそうなので、映像の見比べも期待していきたいです。

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Pygmalionが出版されたのは100年くらい前ですが、自分自身の経験と重なるところがあったり、自分自身の問題として考えさせられたり…。今後もいろいろな切り口から、この作品を吟味していきましょう。