6月4日のゼミ日誌(第3期)

今回の日誌当番は船井さんです。

秘密の花園』と『不思議の国のアリス』についての議論を一通り終えたので、この日はこれらの作品の映画版を観て、現在のエンタメとしてどのように表現されているかを考えました。

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今回のゼミでは、「秘密の花園」の続きとディズニーの「不思議の国のアリス」を見ました。

秘密の花園」は、原作と違っている点が多く見られたように思いました。メアリが両親を亡くしたのはコレラではなく大地震であったり、原作ではコリンの父は全くコリンに興味を示さないように最初は描かれていたのに映画では父がとてもコリンを心配しているように描かれている点、また、子供同士の恋愛模様なども付け加えられていて私が想像した「秘密の花園」の世界と違っていました。「秘密の花園」の原作を最初に見た人と、映画を最初に見た人とではイメージが大きく違ってくるとも感じました。子供の成長する過程として恋愛を描くことで少女から女性へ、少年から男性へと成長する姿が私たち視聴者には一番分かり易い成長過程なのかもしれないと思いました。秘密の花園が息を吹き返した姿はとても綺麗で、家族の愛を取り戻したコリンと父の感動と重なりました。

ディズニー版の「不思議の国のアリス」は登場人物が歌を歌ったり、踊ったりと、とてもコミカルに子供向けに描かれていました。映画を注意深く見ると前回のゼミの話し合いで出た、当時の地質学の描写や、アリスのおかしな登場人物たちに対する誠実な態度などが見られました。印象的だったのは迷い込んだ森の中は、朝は、登場人物も明るく愉快でしたが、暗くなるにつれて不気味さが増してきたり、不気味な目をした鳥が睨みつけてきていた所は子供に対して”不思議の国でも森は怖くて寂しい所だから近付かないように”と子供たちに忠告しているんじゃないかと思いました。
小さい頃に見た「不思議の国のアリス」と今回見たアリスの世界が違って見えたのは単に年を取ったとか大人になったのではなく、前より少し雑念が出てきたり、「そんな世界ある訳ない」と現実を真っ直ぐ見てしまうからだと思いました。子供の頃は周りの大人が難しい言葉を使ったりする”難しい世の中の仕組み”の存在する世界に踏み込むことはありませんでしたが、学び、成長することで理解の幅が増えると夢や、想像を信じることができなくなる。なら、子供である今の内に精一杯子供らしくいてほしいというキャロルの願いのようなものが垣間見えると感じました。

子供が子供らしくいるには大人の存在が大きく関係してきます。メアリのように親の愛を知らない子供は子供らしさを失くし、大人びた子供になってしまいます。秘密の花園では、その寂しさを癒したのは子供同士の交流や友情であったり、花園の手入れや動物たちとの触れ合いでした。親の愛を知らない子供でも、メアリのように周りの環境により子供らしさを取り戻すことができるということや、アリスのようにお姉さんに見守られながら不思議の国で子供らしく成長する過程を見ると子供同士の遊びや、想像が子供にもたらす影響の大きさを実感しました。

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ゆっくり話をする時間がありませんでしたが、特に『アリス』は数多く映画化されていて、比較をすると面白そうですね。最初の方だけちらりと見た、VHS版のシュールな『アリス』も、時間を見つけてもう少し見てみましょう。監督者名などはその時に。