7月9日・16日の卒業研究発表会④(第3期)

徳石さんの発表「『ダロウェイ夫人』における作者の心理・人生観」について(阿部)
徳石さんは、『ダロウェイ夫人』の主人公クラリッサは、自分の人生に対して生きることへの喜びを感じているように思えるが、その反面、「死」という意識は離れていないことなどから、『ダロウェイ夫人』における作者の心理や人生観について考察している。

第一章にヴァージニア・ウルフについて述べている。彼女は英文学においてとても重要な人物であった。彼女の両親はともに再婚であった。母の死、異父姉の死によって彼女は神経衰弱を発病した。その数十年後に父も死去した。このころウルフは深刻な虚脱状態に陥り、入院治療をした。生涯を通して周期的な気分の変化や神経症状に悩まされ、社交生活には影響を及ぼしたが、文筆活動は一生を通してほとんど中断することなく続けていた。1941年3月28日、ウルフはコートを羽織り、そのポケットに石を詰めて自宅近くのウーズ川で入水自殺した。『ダロウェイ夫人』を書いているころ、ウルフはすでに、文学、とりわけ小説にたいしてはっきりとした姿勢をとっていた。当時の写実小説家たちを「物質主義者」と呼び、彼らの描く人生は外面的でしかないと非難攻撃し、自らの小説作法や小説概念を明らかにした。

第二章にクラリッサとセプティマスについて述べている。徳石さんは、脇役といえるほどの登場人物、セプティマスに注目をしている。ウルフはセプティマスをクラリッサの分身として構想し、そしてクラリッサにセプティマスが自殺したことをうれしいと思わせるとき、それは、クラリッサのうちにも、セプティマスと同じ狂気、あるいはセプティマスと同じ死の願望があったことを示している。二人は表面的には対極的な人物だ。クラリッサとセプティマスの人生は決して出会うことはないが、ふたりのイメージと物語は溶け合う。セプティマスはクラリッサによりかかることにより、正気を取り戻すことができると思ったが、そうではなかった。彼の内なる破壊的衝動が解き放たれ、もはや抑えきれなくなった。セプティマスは窓から身を投げ出し、自殺した。

第三章にセプティマスの自殺について述べている。ウルフは初期の考えでは、ダロウェイ夫人自身を自殺させる結末にしようと考えていた。しかしそうできなかったのは、自分と同性の主人公を自殺させることはあまりに自分に近過ぎたからではないだろうか。

感想
私は、『ダロウェイ夫人』を読んだことがないけれど、徳石さんの発表を聞いて、作者のヴァージニア・ウルフはセプティマスを自分に重ねて書いていたのではないかと思った。セプティマスは精神を病んでおり苦悩の日々を送り、最後には自殺してしまう。徳石さんのレジュメの2ページ目、下から2行目の「クラリッサがリチャードと結婚したように...」というところから、ウルフ自身がそのような存在を必要としていたのではないかと考えた。『ダロウェイ夫人』はある1日の朝から夜更けまでを書いていると知り、そのような文学は読んだことがないのでぜひ読んでみたいと思う興味深い内容だった。

===

徳永さんの発表「『ダロウェイ夫人』における疎外感」について(徳石)

私も『ダロウェイ夫人』を卒業研究で扱っていますが、徳永さんとはテーマが違っています。

まず徳永さんの発表のレジュメで勉強になったのが、きちんと定義をすることでした。徳永さんの発表の中で、フェミニズムは、女性の社会的、政治的、経済的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目指す主張及び運動、と定義されていました。ダロウェイ夫人は、常に疎外感を感じているようで、いつも逃げ出したい衝動に駆られることが多々あるように思えます。その疎外感を払拭するために、自分の価値観がなければ世の中生きていくことはできないことはなく、価値観は時代によってかなり変動し、だれの価値観にも左右されない絶対の自分の価値観を見出すことが必要だということです。

ウルフは内部から性格を啓示するために、他のどの作品におけるよりも『ダロウェイ夫人』において意識の流れという手法に依存しているそうです。『ダロウェイ夫人』からは、クラリッサの一日の意識が、何に反応し、何に浸っているかを読み取れるのではないかと思いました。クラリッサは、自分の人生はこれでいいのかと、いつも思っているように感じました。人ともうまくかかわることができているのか不安な様子で、疎外感は常にあったんだと思いました。その疎外感から解放されることで、クラリッサだけではなく、だれでも世界が今までと違って見えるようになると思いました。

また、セプティマスとの関係ですが、クラリッサはセプティマスの死によって、自分も死の誘惑を感じていたと思います。しかし、生きることに対する喜びも同じように実感し、生きることを選んだのだと思います。作者のウルフ自身、正気と狂気を行ったり来たりして、何度も自殺未遂を繰り返したと言われているので、彼女もクラリッサと同じ感情になったことがあるのではないかと思いました。

人生は人それぞれ違うし、感じ方も違うと思いますが、悔いのないように過ごしたいなと思いました。