7月9日・16日の卒業研究発表会⑤(第3期)

船井さんの発表「文学作品から見る女性の生き方、結婚観について」(徳永)
タイトル通り、主にイギリス人女性の生き方や結婚観を、ジェイン・オースティン著『高慢と偏見』、ジョージ・バーナード・ショー著『ピグマリオン』、D.Hロレンス著『チャタレー夫人の恋人』に登場する女性主人公から考察していました。

第1章では、創世記などの神話からそもそもの「女」とはどのようなものかということを述べていました。聖書から、女は男の従属物であり、男より劣っているという考えが綿々と語り継がれていました。しかし、無意識に女性の方が男性より地位が下と考えるよりも体の機能の面から、女性は支配されるのではなく守られるという考えの方が適しているように感じました。マリアとイヴを象徴的に取り上げていました。イヴは完全に男性の従属物、一方マリアは自立した女性と考えられています。19世紀半ばになり、女性の地位を大きく変えるフェミニズム運動が展開されます。そこから従来の女性像である「家庭の天使」からは全く違った「新しい女」が登場します。

第2章では、『高慢と偏見』、『ピグマリオン』、『チャタレー夫人の恋人』の女性登場人物から本来の女性像、新しい女性像に論点を当てています。『高慢と偏見』から、ビングリーとジェインは、理想的な型にはまった結婚をしました。これは誰にも文句を言われない、いわば幸せな結婚であったと言えます。一方エリザベスとダーシーは、自分自身と向き合った結婚をすることができました。今作が描かれた時代によってはエリザベスとダーシーの結婚も同じく理想的な結婚であったと考えられます。シャーロットとコリンズは、お互いの精神的、または身体的幸せよりも地位を、あるいは生活を最優先した結婚でした。これは女性優位でも男性優位でもありませんでした。『ピグマリオン』から、イライザとフレディは、主に女性が男性の従属物になることを拒否し、イライザがニューウーマンであるよう描かれることで女性の本当の幸せとは何なのかについて読み手に訴えていました。『チャタレー夫人の恋人』から、コニーとメラーズは、精神的満足だけでなく、肉体的欲求を満たすことで初めて愛し合うことが成立すると考えていて、自分の欲求が満たされることが全てではないかと考えられます。

第3章では、現代女性の結婚観が述べられています。近年の女性は自立的な人生を送りたい、自分らしい生き方をしたいと考える人が増加しています。そこで女性のキャリアデザインの著者青島祐子は、幸せ結婚とは女性の個性の喪失と定義しています。女性の高学歴化や、雇用状況の変化、人権意識の高まりなどを背景に女性の社会的地位は急速に高まってきました。結婚と家事は女性の職業生活を妨げる決定的な要因とならなくなっています。一方日本は、1991年に育児休業等に関する法律が成立しました。これは子供を育てるのは母親の役目、女性の役目とされてきた社会通年の一大転換を迫るものでした。しかしこのように制度はかなり浸透してきているのに利用しにくい職場の雰囲気や風土が依然として存在していることが現状です。イギリスでは、日本の公立保育園にあたる施設が少なく、生活が厳しいです。しかし、Flexible Workingという権利があり、子供を育てる親が職場での地位を失わずに子供とより多くの時間を過ごすことができています。

最後に、「新しい女」が登場することで女性の概念は変化しました。しかし結婚は女の幸せであるということに疑問が出てくることもありました。船井さんは、自分の人生を他人任せにしないと考え、一人の人間として自立心や自尊心を持たなくてはならないと述べています。

私は船井さんの発表を聞いて、自分も同じ女性として恥ずかしく感じました。男性優位な時代はもう終わったのに男性の方が優位である固定概念にとらわれていました。私ももっと自立心を持ち、積極的に行動しようと思います。『高慢と偏見』、『ピグマリオン』は授業でも学んだこともあり、発表を聞く上で理解しやすかったのですが、『チャタレー夫人の恋人』は読んだことがなかったので、個人的にこれから読んでいきたいと思います。私は結婚が女性の本当の幸せだとは思っていません。結婚しなくても幸せな道はたくさん存在すると思います。女性が生きやすい制度が整っているのだから、もっと環境が早く適応し、全体が意思統一する必要があると考えます。

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本山さんの「アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』と見立て殺人」について(船井)

本山さんの『アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」と見立て殺人』についての発表を聞いて普段テレビで見る殺人事件を主題にしたドラマや名探偵コナンの中でも数多く見立て殺人をテーマにしているということに気付きその人気の高さが伺えました。日本の見立て殺人で有名なものは「犬神家の一族」のように家宝の斧、琴、菊による見立て殺人だと思いました。一つの殺人事件に意味を持たせることで読み手の興味や恐怖を煽り、次は誰だろう?と想像させるおもしろさを持っていると感じました。

アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を読んだことはありませんが、作品概要を聞くとインディアン島に閉じこめられインディアンの運命になぞらえて一人ずつ殺されるという内容は夜に読んでしまうと夢に出てきそうで私は読めないと思う程恐怖を感じました。推理小説は細かい形式に分かれていることを初めて知りました。どのように犯罪を成し遂げたか?トリックは何なのか?アリバイ崩しはどのように行なわれたか?を表すハウダニット形式が私は一番興味を惹かれる形式だと感じました。フーダニット、ハウダニットホワイダニット これら3つの形式を組み合わせると恐怖と謎に包まれた殺人事件が成立してしまうと感じました。

ただテレビ番組の殺人事件として見るのではなく形式のことについても注目して見てみようと思いました。アガサ・クリスティが小説を書いた背景として姉に「探偵小説なんて書けっこない、賭けてもいい。」と言われて姉を見返したいと書き始めたことは彼女の大きな原動力となっていたと思いました。そしてその方法として薬局に勤めた経験から毒薬を使った作品が多くなったことは自然なことだと感じました。日本の作品の中にも彼女の作品に影響を受けたものが多くあるということで、彼女の作品の偉大さが分かりました。少し怖いですが、私もアガサ・クリスティ作品を読んでみたいと思いました。

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以上、卒業研究発表会も無事終了しました。第3期のみなさま、取りあえず、おつかれさまでした。残りのゼミ活動は、各自が卒業研究論文をまとめることと、それらの論文をまとめた論集を作ること、卒業研究の内容を英語500 wordsでまとめること。もうひと頑張り、よろしくお願いします。