2016年12月7日のゼミ日誌

今回の日誌当番は横井くんです。

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12月7日のゼミ日記を担当します。横井翔馬です。本当は先週が担当だったのですが、私が風邪で寝込んでしまったため、代わりに今週を担当することになりました。

Never Let Me Goの5章から12章までを行いました。ヘールシャムにおける16歳くらいまでの回想と、ヘールシャムを出た後までを勉強しました。第一部の終わりから第二部へかけての章だったということもあり、ヘールシャムにおけるキャシーたちへの「提供者」に関するルーシー先生の暴露、性に対する関心、トミーとルースの関係やキャシーの語りなど、多くの物事が伏線も含め大きく動いていきました。
第一部では、ルーシー先生の「提供者であり将来は決定済みなのだから、『〜になりたい』だとかという無益な空想はやめるべき」という発言や(第七章)、ルースとトミーの破局騒動(すぐに復縁しますが)といった出来事が目白押しでしたが、さりげなく後々の伏線になるであろうことがたくさん隠されており、騒動のやかましさだけに注目してはいけないと思いました。
第二部では、ヘールシャムからコテージへと舞台は移り、ヘールシャム以外の出身の提供者たちと生活を共にするようになりました。コテージでの各々の振る舞いは皆テレビに出てくる登場人物の行動を真似したものになっており、ルースも恋人のトミーに対して肘を叩くなどの“テレビを真似た”行為をします。そして、ある時、ルースの「ポシブル(複製元、親にあたる)」を見たという情報を先輩から聞き、ポシブル探しに行こうということで、今回の講義は終りました。

私は中でも「真似をする」という部分に興味を持ちました。

There was incidentally, something I noticed about these veteran couples at the Cottages-something Ruth, for all her close study of, them, failed to spot-and this was how so many of their mannerisms were copied television.(p.118, l.21-24)

“普通の人間ではない”提供者たちがテレビを見て、その中にいる“普通の人間”の真似をするという姿は、両者の間にどうしても越えられない溝があることを連想し、また、真似をする対象が「テレビの中の人間」であり決して生身の人間ではないことが、増々その溝を強調しているようにも思いました。ヘールシャムの外に出たといっても、それは外の世界、普通の人間と融和するということではないことが分かります。そして、わざわざ真似をするということから、提供者たちが普通の人間に憧れを抱いているようにも感じました。

ここから物語はルースのポシブル探しへと続きます。ノーフォークへと旅をしますが、旅行という言葉からイメージする、楽しい雰囲気はないように思え、ルースの心中など登場人物は少ないまでも人間関係は複雑に絡んでいくので、人によって意見が分かれるところだろうと思います。来週のゼミを楽しみにしながら、これで以上にさせて頂きます。

===ここまで===

真似をするという行為は、この小説の中で重要だと思います。キャシーたちのような立場でなくても、絶えず私たちは人真似をしているような気がしますが、キャシーたちのような立場だと、それが特別な行為に見えてきますね。