【第4期】2017年10月19日のゼミ日誌

今回の日誌当番は、横井くんです。

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今日のゼミは『ジキル博士とハイド氏』の最初の講義であり、各々の担当箇所をまとめたレジュメを使用して講義を進めていきました。

講義の進め方は『高慢と偏見』や『わたしを離さないで』の時と同じでしたが、『ジキル博士とハイド氏』は先の二つと違って短編ということが違っており、「誰」が「何」をしているのかを一つ一つ細かく確認していく様に精読していきました。また、『ジキル博士とハイド氏』は時系列や、現時点でどれだけのことが分かっているのかが掴みにくい作品であり、誰の語りがどの構造に入っているのかに注目をしていきました。

私が特に気になったのはジキル博士とハイド氏の描写の違いでした。

God bless me, the man seems hardly human! Something troglodytic, shall we say? or can it be the old story of Dr. Fell? or is it the mere radiance of a foul soul that thus transpires through, and transfigures, its clay continent? (P23 l.12-16)
Dr. Jekylle was no exception; and as he now sat on the opposite side of the fire a large, well-made, smooth-faced man of fifty, with something of a slyish cast perhaps, but every mark of capacity and kindness (P28 l.16-20)

Only on one point, were they agreed; and that was the haunting sense of unexpressed deformity with which the fugitive impressed his beholders. (P39 l.20-23)

ジキル博士とハイド氏は同一人物であり、それを匂わせるような描写がところどころで出てきます。一方で二人の書き分けはしっかりしており、読者はアタスン氏と同じ目線で謎解きをしていくようになっていると思います。

また、先の引用以外にもアタスンはたびたびハイド氏について思ったことを述べますが、どことなくハイド氏への描写が、アタスンが深層に隠しているであろう感情と繋がっているように思われます。アタスンはハイド氏を通じて自分自身を見ているのではないかと思ってしまいます。

ジキル博士とハイド氏』はまだ始まったばかりですが、この作品を使用しての講義は全部で三回の予定であり、この作品に慣れた頃にはもう終わっているという風になりそうです。ともあれ、精読を意識してあと二回の講義を進めていけたらと思います。

===ここまで===

誰もが何となくイメージを持っている短編だと思いますが、実際に読んでみると意外に難しく、細部に注意を払う必要があるということでしょうか。『高慢と偏見』や『私を離さないで』についても、もちろん、細部は大切であり、注意を払う必要があると思いますが。